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才能の定義とは?(1)

職場で着てるもの↓

下から
ヒートテック
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私服Tシャツ
私服トレーナー
作業着
私服ジャンパー
防寒ジャンパー

いや寒いっすよねホント(ガクガク

17枚合板と化したTora(中芯の皮下脂肪の比率を増すことにより弾性が向上。重量感ある打球感が冴え渡ります)ですこんばんわ。

技術考察の記事から少し離れまして、今回から何回かに渡って
私の考える「才能」の定義ってなんなのかをまとめてみたいと思います。

知ってのとおり私はというと、特に才能があるわけでもない凡人の中の凡人であります。
しかも学生の頃卓球の経験がまるでなく、つい2年ちょっと前から始めたばかりの素人(゚д゚|||)

でも、だからと言って小学生(あるいはそれ以前)からやっているようなベテランの人や、才能ある人に負けてもいいとはまったく思っていません。

私は自分の「限界」や「落としどころ」を考えるのが嫌いな性分であり、
やる前から「できない」と言うのが嫌いな性分というのもありますが
やろうと思ったことはやれると思っているし、それを証明したいとも思っています。

どんな人にも勝ちたいと思っています。
今、私に勝っていい気になっている人たち(※被害妄想)を見返したいとも思っています(`皿´)ムキー


実は以前、私は卓球以外で「才能」というものを目の当たりにし
そのあまりの絶対性に打ちのめされ、挫折した分野が幾つかあります……。

正直に言うと卓球でも、このまま続けていればいつか、同じように壁にぶち当たるんじゃないか
同じ思いをするんじゃないかという恐怖は少しだけあったりします。

でも、卓球はずっと楽しく続けていたい(´;ω;`)

そう思い、その恐怖と対峙したとき、私は考えました。

「『才能』それ自体を模倣できれば、あるいは……?」

才能ある人とは、常人には理解し得ない独特の感性を持っています。

しかし!
もしそのメカニズムを解明することができたなら……
もしかしたら、自分に取り込める要素もあるのかもしれない。


このブログで記事にしているような技術理論を
ねちっこく収拾してるのはそういうわけです(;^ω^)

自分に限界をつけるのが嫌いとは言っても
あくまで客観的……客観的に見れば、自分が「凡庸」だという評価は変えられません。情けないことに。

でも、だからと言って「できない」というのはというものです
自分の自分に対する「凡庸」という評価……これに対する挑戦こそが私のモチベーションなのかもしれません。


OH!
無駄に前置きがずいぶん長く&大げさになってしまいました;;;;

まぁ才能に対抗するには、まず才能というものがなにか定義しないとなってことですね。

そんな感じで次回に続きます。


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